”アダルトチルドレン”からはじまった自分を知る旅は、ワタシがアダルトチルドレンというだけでなく、さまざまな精神障害を抱えてることに気づかせてくれた。
この旅に出て早6年。
自分の過去や自分自身と真剣に向き合い続けた心の旅がワタシにもたらしたものは、地獄と希望だった。
様々な感情の渦を通りぬけた長い旅路の先に見えた光
心の旅で出会った様々な感情。その中には、ワタシが初めて出会う感情もあった。
ずっと信じてきたものが崩壊する絶望。愛してる人たちへの底知れぬ怒りや恨み。自分への同情と哀れみとあきらめ。
そして、そんな自分を全て受け入れ、これから先も生きていかなければならないという不安。
それでもワタシは、この旅に出たことを一度も後悔していない。
自分と向き合わなければ、得たいの知れない生きづらさを抱えながら、死ぬまで這いつくばるように生きていかなければならなかったことを容易に想像できたから。
他人と比べることから得られる優越感や、世間体を基準に感じる幸せではなく、自分がどんな状況にいても、ワタシの幸せはワタシのものなのだと堂々と胸をはれる人間になりたい。
ワタシは、残りの人生を心から笑って過ごしたい。
人生の前半が真っ暗闇だったからこそ、後半はきっと明るいはずだしそうしなきゃいけない。
それができるのは自分だけなのだから。
自分を励ましながら歩んできた山あり谷ありの心の旅は、まだまだ続く。希望の光にむかって。
ワタシがアダルトチルドレンの診断を受けなかった理由
自分が、アダルトチルドレンだと自覚したとき、ワタシには、精神科医によるカウンセリングを受けるという選択肢もあった。
しかし、もともと他人を全く信用できない性格。医師と言えども例外ではなかった。
しかも、6年前は、我が子がまだ1歳と4歳で育児の真っただ中。カウンセリングに通う時間など作れるはずもなく、身体も心もボロボロで、カウンセリングへ行く気力すら残っていなかった。
その上、良質なカウンセリングの料金は1回あたり1万円を超えるものばかり。庶民には、到底払えない金額だった。
さらに、アダルトチルドレンの症状を知れば知るほど、ワタシの生きづらさの原因が、幼い頃の家庭環境の問題だけに限られたものではないこともわかってきた。
ワタシは、アダルトチルドレンの症状を踏まえつつ、自分が感じる生き辛さの原因を別の角度からも調べてみることにした。