ワタシの家庭では、虐待と断定されるような行動もみられた。
放任主義だった両親からは、最低限の衣食住は与えられていたが、親に愛情を注いでもらえずに育ったワタシたち姉妹はネグレクトされていたのかもしれない。
その上、母からの身体的な虐待と、父からの度重なる身体的・精神的虐待。
父も母も、自分たちが子供を虐待していたなどこれっぽっちも感じていないにちがいない。なぜなら、母はしつけとして、父は冗談として、ワタシたちに虐待をしていたから。
今思い出しても、胸が涙で熱くなる嫌な思い出。
あの頃の記憶は、これからも一生ワタシにつきまとうのだろう。
母がしつけと信じていた身体的虐待
ワタシが、母から身体的虐待を受けたのは二度。
叱られた時に、お尻をぶたれたことは何度かあったが、それに関しては、自分が悪かったと自覚しているため虐待とは思っていない。
心に残る母からの二度の虐待。それは、恐怖そのものだった。
一度目は、ワタシが3歳か4歳の頃。
ワタシは、オムツがとれた後も、布団におねしょをすることがあった。自分が覚えている限り、せいぜい5回ぐらいだっただろうか。
ワタシの子供も、小さい頃は何度かおねしょをしたことがあり、ワタシには、子供のおねしょは仕方がないと思えるのだが、母はそうではなかった。
初めてできた子がおねしょをする。このまま、おねしょが治らなかったらどうしよう・・・。
当時の母は、まだ20代前半。子育てにも沢山悩んだことだろう。母は思いつめた挙句、母の実母、つまりワタシの祖母と結託し、
ワタシの恥丘にやいとうを据(す)えた(線香を押しあてた)。
タバコでいうところの根性焼き。
昔は、ショック療法として、西日本では当たり前に行われていた儀式だったそうだが、ワタシは、母と祖母が暴れるワタシを押さえつけた時の力と線香の熱さと恐怖を、今でもはっきりと覚えている。
二度目の身体的虐待も根性焼きだった
母からの二度目の身体的虐待。それもまたやいとう(線香を使った根性焼き)だった。
ワタシは、家庭への不安が重なり、小学生になってから問題行動を起こすようになっていた。
その内の一つが盗み。人が持っているものが欲しくなる。欲しいものが我慢できない。
あの頃のワタシは、物を盗ることにスリルと達成感を求めていた。
人から盗んだ物は今でも全て覚えている。消しゴム、ハートのバンソウコウ、バービー人形のワイングラス。
でも、一度だけ、母に盗みがバレたことがあった。
小学校何年生の頃だったかは忘れたが、その頃、よく遊びに行っていた友達の部屋に貯金箱が無造作に置いてあった。
その貯金箱は友達の弟のもので、青い宝箱のような貯金箱は、フタが空いていて中身がいつも丸見え。入っていたのは500円玉ばかりだった。
ワタシは、友達の家に遊びに行く度に500円玉を何枚かずつ盗んで帰り、自分の部屋の机に置いていた黄色いトラの貯金箱に入れた。
貯金箱に、500円玉が10枚ほどたまった頃、母が、ワタシの部屋を掃除中に、掃除機で貯金箱を引っ掛けて床に落としてしまった。
ジャリーン!!
それで、ワタシの盗みは母に見つかった。
母に問いただされた末に、ワタシは泣きながら盗みを白状。母は、すぐにワタシを連れて友達の家に行き、友達のお母さんに謝ってくれた。
その後少しして、母はワタシの右手の甲にやいとうを据えた。おねしょの時と同じように、母も、悩み思いつめた後の行動だったのだろう。
その時は、ワタシも自分が悪いことをしたと自覚していたので、騒ぐことなく母からの体罰を受け入れた。
ワタシの右手の甲には、今でもあの時のヤケドの跡が小さく消えずに残っている。