「姉ちゃんって外面がいいよね」
大人になり、3歳下の妹からワタシへ言われた言葉だ。
妹にそう言われて、一番外面がいいのはおめぇだろ・・・と、ワタシは心の中で思った。
3歳下の妹は、大げさなほど最高の笑顔と優しい言葉で他人に接する。
でも、家の中では、大きな声で我が子をどなったり、わざわざ電話をしてまで末っ子の妹をいびったり、感情をむき出しにする暴君と化す。
ワタシと3歳下の妹には、似たような二面性がある。
外では、他人の顔色をうかがいながら、親切で優しくて明るい自分を演じ、家では、自分の感情をさらけ出して家族に当たり散らす。
こうした行動は、一見すると大人の社交辞令に見えるかもしれないが、ワタシたちの外づらは、決して他人を敬うものではなく、自分の心を守るための術でしかないのだ。
外づらがいい人はナゼ家庭内で暴れるのか?
外では無理をして押さえつけている自分の本音や感情は、不満となり心の中で風船のようにふくらむが、自然に消化されて無くなることはない。
運動や趣味などで上手くガス抜きをしない限り、身体が動かなくなってウツになったり、人やモノに八つ当たりしたりと、ため込んだ不満はどこかで必ず爆発する。
なぜなら、ワタシたちはアダルトチルドレンだから。
外ではいくら大人な自分を演じていても、心は子どものまま。たまった不満をどこかにぶつけずにはいられないのだ。
外から隔離された家庭の中は、本当の自分が解放できる唯一の場所。
だからこそ、弱い物=自分の親代わりになる対象に、ダダをこねずには生きていられない。
ワタシも、3歳下の妹も、その典型的な例なのだろう。
ワタシの二面性は思春期を経て完成した
ワタシは、小学校3、4年生までは天真爛漫な子供だった。
家では、親の顔色を伺う子供ではあったものの、外では他人の顔色を気にすることなく毎日楽しく暮らしていた。
それが、小学5年生になり、中学、高校と思春期を迎えてから、急に自分に自信がなくなり、人の目を気にするようになった。
機能不全な家庭での暮らしが元凶だったことに違いはないが、他にも色々なきっかけがあったのだろう。
友達からの傷つく言葉、ちょっとした仲間はずれ、成長による身体や心の変化、自分の心は子どものままなのに、周りの友達はどんどん大人になっていく寂しさ。
見えない不安に押しつぶされないように、ワタシは、心の内側にますます引きこもるようになり、
高校に進学してからは、外では寡黙で大人しく、家では家族とほとんど会話をしない根暗な子供になった。
本当の自分を隠すために二面性を身につけた
ワタシは、高校生になった頃から急速に自信を失っていった。
入学時に選抜クラスだったワタシは、勉強についていけず、2年生になると普通クラスに脱落。
得意だったのは英語と美術と現代社会だけ。残りの教科は、ほとんど落第に近い成績で、担任が劣等生のワタシにだけ向けるあきれた顔を今でも覚えている。
ニキビ顔、歯茎が見える口元、膨らまない胸。自分の容姿も大嫌いだった。
元々、機能不全家族で育った愛情不足のワタシ。
親に自信をもらえなかった上に、勉強や容姿で自信を無くした心は、高校生の頃には自分でも救いようがないくらいダメージを受けていた。
ガラスのようなもろい心を守るために、家では時々ブチ切れ、外ではいい人を演じて争いを避け、心が傷つくのを避けて生きるようになっていた。
心が壊れたら、ワタシは生きてけない・・・。
時々襲ってくる「死にたい・・・」という心からの叫び。
あの頃のワタシには、二面性を身につけることでしか生きる術がなかったのだろう。