学校なんて全然行きたくない。勉強なんて全然興味ない。
しんどい・・・。
中学生の時に過敏性腸症候群を発症したワタシは、静かな教室で授業を受け続けるのが本当に辛く、中学、高校生活は地獄だった。
周りのみんなは、あんなに楽しそうにしているのに・・・。
思春期を迎えたワタシの居場所は、我が家の2階の奥の部屋だけ。ワタシが、心からリラックスできたのは、あの部屋だけだった。
たまに、父親が抜き足差し足で、ワタシの様子をそっと覗きにくるとき以外は。
ずっと好きだった”絵を描く”こと
ワタシは、小学生のころから絵を描くのが大好きだった。
愛読書は「りぼん」という月間少女漫画雑誌で、自由帳に自作の漫画を描き友達に見せていたほどだ。
ワタシが育ったころの島根の地元は、マックもコンビニもない辺境だったが、
漫画の画材やスクリーントーンを売っているお店が奇跡的にあり、お小遣いで画材を調達し、中学生の頃には本格的な漫画を描き始めた。
最初は、恋愛ものの少女漫画を描いては「りぼん」の漫画賞に応募していたが、高校生になるといつしか路線変更をしていた。
小学生の頃からホラー好きだったワタシ
ワタシは、小学生の頃からホラーやミステリーやオカルトが大好きな子供だった。
理由は自分でもよくわからないが、平凡で暗い毎日に、子供ながらに刺激を求めていたのかもしれない。
ワタシにとって、ミステリー小説や怖い話の本を読んだり、ホラー映画を見たりする時が至福の時だった。
愛読書は、「りぼん」から「サスペンス&ホラー」(サスホラ、廃刊になって悲しい・・・)に変わった。
ホラー好きのワタシが、少女漫画からホラー漫画に路線変更したとしてもなんら不思議はなかった。
辛い思春期を乗り越えられたのは漫画のおかげ
休みの日は部屋に引きこもり、一日中パジャマのまま、朝から晩までホラー漫画を描く娘。
父も母も、心配だったに違いない。
しかし、自分からはほとんど話をせず、急にキレる長女になすすべもなく、
ワタシが何をしているのか気がかりで、父がワタシの部屋にたまにこっそりと偵察に来ることを除いては、親の心配は宙に浮いたまま放置された。
結局、ワタシが漫画家になることはなかったが、集中して漫画を描いてる時だけは日常生活の嫌なことを全て忘れることができた。
ワタシの心は、ホラー漫画を描くことで解放されていたのだろう。
高校3年生になり、受験の波にもまれるようになってから、漫画を描くことから徐々に離れていってしまったが、
今でも漫画に没頭していたあの頃の時間はワタシにとって大切な宝物に変わりはない。