ワタシが、ワタシらしく生きられない原因。それは、幼少期に育った家庭環境にあった。
ワタシは、両親の心の安定剤だったので、心が不安定な両親が壊れないように、自分の家庭が壊れないように、いつも二人の顔色をうかがいながら生活をしていた。
ある時は父に合わせ、またある時は母に合わせ、自分を相手に合わせることで、ワタシなりに家庭のバランスを保とうとしていたのだろう。
思春期を境に、自己否定ばかりするようになったワタシは、自分が他人から否定されることがすごく怖くて、自分の心が傷つかないように自分を殺し、相手に合わせて生きるようになった。
ジブリの映画をみて涙が止まらなかった件
ジブリ映画は、いつ観ても深い。
「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」をみた時、ワタシはなぜか涙が止まらなかった。
ワタシは、カオナシだ・・・。
心が寂しいから、愛がほしいから、誰かにかまってほしくて相手に合わせたり、世話を焼いたり、贈り物をしたりして、相手の気を必死にひこうとする。
でも、それは決して相手の幸せを心から願う行為ではなく、全ては自分の心の隙間を埋めるため。
だからこそ、相手に拒絶されると自分の全てを否定された気がして、「お前のためにやってやったのに!!」と怒りの感情が爆発する。
相手は、ちょっとした優しさを自分にくれただけなのに。
相手に合わせてばかりいるといつか”カオナシ”になる
千に、自分の全てを否定されたと感じたカオナシは、怒りで我を忘れ、巨大な化け物になる。
この怒りの正体こそが、自分の感情を殺して相手に合わせてきた代償。
長い間、心の中にひそんでいた寂しさ、悲しみ、恐れ・・・。
その存在に気づかずに他人に合わせてばかりいると、いつか必ず爆発し、他人の心を深く傷つけてしまうことになりかねない。
抑え込んだ感情を原因とする怒りは、いつ爆発するかわからないので、日ごろから、自分の感情を抑え込まないことがとても大切なのだ。
どんなに時間がかかっても自分らしく生きていきたい
カオナシの心を浄化したのは、千がカオナシの口に放り込んだ「苦(にが)だんご」だった。
苦だんごは、カオナシの心にたまっていた感情の膿を解毒し、元のカオナシに戻した。
心が浄化されたカオナシは、元のむなしい自分に戻っただけ・・・と絶望したのかもしれない。
しかし、そこでまた、千がカオナシに手を差し伸べた。カオナシは、それを素直に受け入れた。
この世界に苦だんごはないが、自分の心を解毒したり浄化したりしてくれるのは、やはり他人の優しさなのではないだろうか。
だからこそ、心が傷つくことを恐れず他人にきちんと向き合いたいし、ふれあっていたい。
心と身体に染みついた相手に合わせるクセはなかなか消えないが、
今日もまた、相手に合わせていい顔しちゃったな・・・と反省しながら、次回は自分の言いたいことをちゃんと伝えようと自分に誓うのだ。