ワタシは、三姉妹の長女として生まれた。
昭和53年。古き良き時代。
でも、あの時代は、昔からの悪しき習慣が未だ根付いている時代でもあった。
家庭内で、長男・長女は特別な存在。ワタシは、2人の妹たちに比べて両親に甘やかされて育った。
甘やかされたといっても、決して沢山の愛情を注いでもらったわけではない。
父や母から叱られることが極端に少なかっただけ。
親からしてみれば、長女のワタシに絶対的な信頼をよせていたのかもしれないし、長女のワタシに遠慮をしていたのかもしれないが、
自分たちの間違った子育てが、娘たちをずっと苦しめることになるとは思ってもみなかっただろう。
ワタシを叱らない母とイイ気になって威張るワタシ
ワタシが妹に辛く当たっても、母は少し悲しそうな表情をするだけで、ワタシが妹にした悪行はいつもうやむやにされた。
あの時、母が、ワタシから妹へ無理やりでも「ごめんなさい」と言わせていたら、悪いことをしたら謝るものだと厳しく叱ってくれていたら、
ワタシはもっと素直に生きてこれたのではないか。
でも、そうじゃなかった。
ワタシは、親に叱られないのをいいことに、家の中で威張るようになった。
そして、妹は、ワタシに謝罪をしてもらえないまま、ワタシのもやもやする気持ちをぶつける対象者となっていった。
ごめんなさいが言えないワタシ
自分が悪いことをした時でさえ親に叱ってもらえなかったワタシは、プライドだけが高い人間になった。
自分が悪いとわかってるのに、相手に素直にあやまれない。
自分は悪くない。あやまったら負け。あやまってたまるか。
自分に自信がもてずに、内心はいつもオドオドして怯えて生きているくせに、そんな弱い心を守るために、プライドという名のよろいだけがとてつもなく頑丈になってしまった。
一度、身につけてしまったプライドのよろいは、大人になるとぬぐのがすごく大変で、ワタシは、いまだに両親や妹たちには素直に謝ることができない。
素直になることは生きづらさから抜け出すための大きな一歩
今まで、沢山の人の心を傷つけてきたワタシ。自分が悪くても謝りもせず、見捨ててきたワタシ。そんな自分を強引に許してきたワタシ。
それは、ワタシが未熟だったから。
ワタシが、大人になっても心が子供のままのアダルトチルドレンだったから。
本を読んだり、人と話したりして色々と考えるうちに、自分に素直に生きることが生きづらさを克服する近道なのだと感じるようになった。
自分がしたことが恥ずかしい。相手を傷つけてしまったことが恥ずかしい。謝ることが恥ずかしい。生きてることが恥ずかしい。
沢山の生き恥をさらしても、素直に一言ごめんなさいと謝ることができるようになれば、生きづらさを感じなくなるのではないだろうか。
今では、そんな気がしている。