子供のころ、母から十分な愛情をもらえなかったワタシ。
ワタシの心は、母の愛情を求めて、いつまでたっても母にしがみついていた。
いくら母に突き放されても、母にワタシだけを見ていてほしかったから。
だからワタシは、母が喜びそうなことは何でもした。家事の手伝い、肩もみ、プレゼント。
大嫌いな勉強も頑張り、偏差値の高い短大や大学を卒業し、有名な会社にも就職した。
ストレスで心と身体がボロボロになりながらも、ワタシは母に誇ってもらえる娘になりたかった。ワタシを産んでよかったと、母に思ってもらえる娘になりたかった。
全ては、自分のためじゃなく母のため。
ワタシは、異常なほど母からのホメ言葉を欲していたのだ。
ワタシにだけに向けられる母の笑顔を求めて
母は、仕事、家事、育児で忙しく、娘一人の欲求すら十分に満たせる時間も余裕もなかった。
11歳下の妹が生まれてからは、ワタシが病気になっても、以前のように、母がワタシの背中をさすってくれたり、トイレに付き添ってくれたりすることも無くなった。
母は、ワタシのことを、自立心のあるしっかり者の長女と頼りにしていたのかもしれないが、あの頃のワタシは、
「母は、ワタシのことなんてどうでもいいんだ・・・」
と、言いようの無い寂しさばかりを感じていた。
だからこそ、母がワタシをホメてくれる時の笑顔がすごく嬉しかった。
ワタシにだけ向けられる母の笑顔は、ワタシが母の愛情を確かめられる唯一の手段だったから。
何かを与え与えられて成立する愛情は”依存”
母の笑顔。それは、形あるもの。目に見えるもの。
ワタシにとって、愛情とはそういうものだった。
ワタシは、母から沢山の笑顔をもらうために、母へ沢山の贈り物をあげた。
それは、子供が母親に依存する典型的なアダルトチルドレンの症状だったのだろう。
ワタシの歪んだ愛情表現と愛情確認は、母だけでなく、友達や彼氏にまで及んだ。
ワタシは、相手に沢山のことをしてあげているのに、目に見える愛情を返してくれなかった友達や彼氏は、自分から関係を切り捨てた。
他人との関係が続かない原因が、自分にあるとも知らずに。
ワタシの依存症は、自分がアダルトチルドレンであると自覚してから徐々に軽減。
愛情が必ずしも目に見えるものではないこと、ワタシが愛情を与えた相手から、愛情が返ってこないことだってあること、愛情は見返りを求めるものじゃないこと。
アラフォーにして、ようやく理解できるようになったから。
今では、自分の家族や友達に、ワタシにできる精一杯の愛情を注いでるつもりだ。