身も心も弱いと信じてた母親は誰よりも傲慢で自分勝手な人だった

私が、母と初めて対立したのは私が35歳の時。

もう立派な大人同士の2人だったけど、それまで私は、自分の気持ちを素直に母へぶつけたことがなかった。

なぜなら、私は、35歳になるまで、母は、身も心も弱い存在だと信じてたから。

なぜ、そこまで母を信じることができたのか?

それは、私が、自分にかけた暗示のせいだったのかもしれない。

私が幼い頃、母は子どもの前でよく涙を見せる人だった。

たまにショックなことがあると、涙を流して弱々しくなる母。

身体があまり丈夫じゃなくて、年に数日は寝込むことがあった母。

母は、私に何も求めてなかったのかもしれないが、

長女の私は、母は弱い存在、私が守らないといけないと、そう勝手に思い込んでいた。

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母と対立して始めて、母の傲慢さに気づいた

「お母さんとは縁を切る。」

そう、私が母にメールで伝えた時、母は私を無視した。

そして、自分の都合のいいように私の夫や周りの人を言葉巧みに操り、私を全く相手にしなかった。

その時、私の心の中にたまってた寂しさという怒りのマグマが噴火したと同時に、私の中である気づきがあった。

母は、決して弱い人間ではなかったじゃないか・・・。

母は、いつも傲慢な人間だったじゃないか・・・。

そう。私が弱いと思い込んでいた母は、私の母への優しさから生まれた幻想

現実の母は、いつも子供の心を自分の思い通りにコントロールする傲慢な母親だったのだ。

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母の傲慢さは、私が3歳の時にはすでに頭角を現してた

私の名前は、3歳の時に1度変わった。

それは、信心深かった私の祖父が崇拝してた宗教団体から、私の名前が不幸になると助言があったからだそう。

母が、私のためを思ってつけてくれた名前。

自分がつけたその名前を、母は祖父から守ってはくれず、3歳までの私の名前はあっけなく母に捨てられた。

父は、私の名前を変えることを母に猛反対し、家庭裁判沙汰にまでなったらしい。

結局、私の名前は宗教からもらった名前に変わることになり、今にいたっている。

母の傲慢さ。どんなに人の心を傷つけても自分の信念を曲げない強さ。

それは、私が3歳の頃にはすでに頭角を現していたのだ。

私は、どんなに不幸になっても母がつけてくれた名前がよかった・・・。

今でも、そう思わずにはいられない。

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母の傲慢さが、娘たちの人生を狂わせた

母は、私たち子供のことをいつも考えてくれた。

でもそれは、あくまで”母なりに”

高校は、なるべく偏差値が高いほうがいい。大学は、なるべく行ったほうがいい。

私たちの進路の判断は、いつも母の信念が基準で、子供の希望が認められることはなかった。

私は、私立大学に行きたかったが、経済的な理由から却下。

3歳下の妹は、自分の学業のレベルに合う商業高校に進みたかったが、

推薦枠で、普通高に進むことを母に強く勧められ、勉強についていけずに高校に入学して3ヶ月で中退。

その後、心身の疲労がたたり、精神的な病気を併発。

11歳下の妹は、再び推薦枠で商業系の大学に進むことを母に強く勧められ、勉強についていけずに大学を1年で中退。

その後、パニック障害や自傷行為を繰り返し、お腹に大きなタトゥーを入れた。

私は、11歳下の妹が大学を中退した時に、どうしてあんな無名の大学に、妹をわざわざ推薦枠で行かせたのかを母にたずねた。

すると母は、「本人が行きたいって言ったんよ」と、サラリと答えた。

誰が見ても、優しくて大人しくて優柔不断な性格の11歳下の妹。

そんな妹が、大学に行ってほしいと強く迫る母に逆らえるわけがない。

妹たちが、軒並み高校や大学生活に失敗した後、母が私にこう言った。

「こんなことなら、○○子(私の名前)を大学に行かせとけばよかったわ。」

私は、言い返す言葉が見つからなかった。

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傲慢な母の影に苦しんだ6年間

母と対立してから、私は過去にさかのぼり、母の傲慢さを数えてみた。

弱かったはずの母のイメージは、私の中でボロボロと崩れ去り、私はやっと母の真の姿を見つめることができた。

ああ、これでやっと私は自由になれる・・・。

私のことを本気で想ってくれるのは母しかいない。

私の、母への強烈な誤解は、弱かった母の幻想と一緒に消えていった。

あれから6年。母と以前のような仲には戻れそうもないが、私はそれでいいと思っている。

母には母の、私には私の人生がある。

私が、母の人生に振り回されることは二度とないのだから。





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