ワタシは、36歳と40歳の時に、2度の稽留流産(けいりゅうりゅうざん)を経験した。
すでに2人の子供がいるワタシは、3人目の子供を2度流産したことになる。
もともと、子供が3人は欲しいと漠然と考えていたワタシだったが、3人目がお腹にやどったとき、なぜか心から素直に喜べない自分がいた。
3人目ができたときのワタシの状況
ワタシが、新しい命を喜べなかったワケ。
それは、仕事と育児で精神的に余裕が無かったから。
2度の流産をしたときはフルタイムで働いていた。
朝早く出勤し、16時半に会社を出て、2人の子供たちを預けている別々の保育園にそれぞれお迎えに行き、それから家事や育児を済ませ、一日の大半を仕事や家族のために費やしていた。
そんなとき、3人目ができた。
3人目はいらない
あのころのワタシは、家族よりも仕事を優先したい妻であり母親だった。
仕事をしている自分を失いたくなかったから。
15年以上も自己犠牲を強いながら一生懸命守ってきたキャリアウーマンというプライド。結婚しても、子供ができても、そのプライドに必死にしがみついていた。
どうしてワタシだけ?どうして女ばかりがこんな想いをしなければならないの?
3人目を産んだら、ワタシは壊れるかもしれない。
仕事をしている自分を守り通したくて、ワタシは、半ば自暴自棄になりながら、3人目がいなくなることを密かに望んだ。
ほんとうにいなくなった3人目
36歳の時に1度目の流産をした。
病院の診察室で子宮の画像をみたとき、赤ちゃんがいたはずの子宮はからっぽだった。
赤ちゃんが亡くなって時間が経つうちに、母体に吸収されてしまったのだそう。
その時のワタシは、状況をのみこめず、先生にどういう態度をとればいいのかもわからず、ヘラヘラしてしてその場をやり過ごした。
診察が終わり、流産後の手術についての説明を待つ間、診察室の前にあるイスに一人で座っていた。
周りには順調に育っている赤ちゃんをお腹に宿したお母さんたちがいた。旦那さんにつきそわれて、赤ちゃんが順調に育つのが当たり前と信じて疑わない人たちがいた。
ちょっと前までは、ワタシもそっち側だったのに、ワタシの赤ちゃんは死んじゃった。
ごめんね。ワタシが、いなくなってほしいって望んだからだね。
ワタシは、あふれてくる涙を必死に隠した。
それから4年後、ワタシは再び同じ状況に直面し、また同じ過ちをおかした。
ワタシがいなくなればいいと望んだ赤ちゃんは、心臓が元気に動いていたはずの赤ちゃんは、9週目にワタシの子宮のなかで死んだ。
仕事を辞めた今思うこと
それまでの精神的なストレスがたたり、ワタシは41歳で仕事を辞めた。
仕事を辞めて2年が経とうとしているが、あれほど執着していた仕事に未練はない。
それどころか、仕事のせいで犠牲にしてきたことがあまりにも多すぎて、仕事を優先してきた自分自身に恨みさえ感じるほどだ。
稽留流産は、精子異常や子宮老化など原因はさまざまで、ワタシが3人目はいらないと望んだことが、流産の直接的な原因でないことは自分でもよくわかっている。
しかし、あの時もし仕事に生きたいという自分を手放していたら、家計のやりくりに腹をくくって夫に頼っていたら、
もしかしたら、赤ちゃんはあのまま元気に育ってくれたのかもしれない。
たまに思い出す流産した子供たちへの罪悪感。
でも、今は家族のために生きてるよ。もう42歳だけれど、今なら心の準備ができているから、気が向いたらまたママのお腹に戻ってきてね。
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