ワタシの実家は、些細な喧嘩が絶えない家庭だった。
原因は、ほとんどが父の酒癖や、母の宗教活動からくるもので、
両親同士のイザコザだったり、父親と残りの家族との言い争いだったりと、家族全員が集まればいつも必ず誰かが誰かに泣かされていた。
喧嘩は誰のせい?
ワタシは三姉妹だが、子供のころは、長女のワタシと次女・三女の妹が子ども同士で喧嘩をすることはなかった。
わが家の喧嘩の原因は、いつも大人だった。
両親の喧嘩がはじまると、ワタシはいつも父だけを責め、母だけを全面的にかばった(この頃は、母は弱い存在だと信じて疑わなかったから)。
家族の喧嘩は、ワタシが収めないと・・・。
まだ10代だったワタシは、そんな義務感にいつもさいなまれ、家庭の安定を守ることに必死だった。
喧嘩がはじまると身体が勝手に緊張する
いくら強がっていても、いくら大人ぶっていても、まだ10代の子供だったワタシ。
実家に住んでいたころは、いつ始まるかわからない喧嘩にいつもおびえて生活していた。
だからこそ、喧嘩がはじまる予感がすると、ワタシの身体は勝手に緊張した。
両親の言い分を聞き、どちらが悪いか悪くないかの判定をして、穏便に喧嘩を収める。
普段の何気ない日常をなるべく早く取り戻すために。
ワタシは、喧嘩の仲裁に全身全霊を注いでいた。
「お父さんと離婚したらいいじゃん」と母に言いながらも、家族が壊れるのを一番恐れていたのはワタシだったのかもしれない。
ワタシは悪くないと言い聞かせることが大切
ワタシは、高校卒業と同時に、短大に進学するために実家を出た。
あれから24年。夫と子供二人と、自分の家族に恵まれ、東京で暮らしている。
子供は、7歳と10歳に成長し、口もずいぶん達者になり、親や姉弟同士で口論することも増えてきた。
夫と子供たちが喧嘩をしている時、ワタシの身体は緊張し、喧嘩仲裁モードのスイッチが勝手に入る。それと同時に、
ああ、この感じだ。昔いつも感じていた、自分は悪くないのに自分を責める感じ・・・。
と、ワタシは、喧嘩のやりとりに耳を傾けつつ、心の中で自分の心から沸き上がる感情を静かに分析する。
家族の喧嘩を仲裁しているとき、ワタシは自分の感情をそこに入れ込み、全面的に自分を責めていることに気がついた。
ワタシは、この感情から自分を解き放たなければならない。
ワタシは、悪くない。
ワタシは、当事者ではない。
ワタシは、誰の味方でもない。
ワタシは、誰の敵でもない。
喧嘩している本人たちに全てを委ねよう。
大人になり、家族の喧嘩を客観的に判断できるようになったワタシは、家族の喧嘩が始まると、自分を客観的にみつめ、身体の緊張をコントロールできるようになった。
その怒りの感情は、ワタシのものではないのだと。
ただし、両親の喧嘩を冷静にみれるかどうかは、未だに自信がもてないが・・・。
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