ワタシは、昔から筋が通らないことが大嫌い。
誰になんと言われようと、自分が納得できないことには岩のように動じず、頑なに拒否する一面がある。
これも、発達障害の影響なのかもしれないが、考え方に柔軟性が欠けているせいか、筋が通らないことが大嫌いなワタシは、自分や、自分の家族の人間関係をいくつも破たんに追い込んできた。
友達との決別
20代で一人暮らしを始めたワタシは、週末の予定を埋めるのに必死だった。
今思えば、充実した自分を誰かにアピールしたかったのかもしれない。
でも、スケジュール帳はいつもガラガラ。スケジュール帳に予定を書きこむには、ワタシと遊んでくれる誰かを見つけなければならなかった。
そこで、よく会うようになったのが、短大生のころに少しだけ交流があり、20代になって偶然再会したBちゃんだった。
Bちゃんは、面倒見がよく、破天荒で気まぐれで情に厚く、よくしゃべる子だった。
仕事の悩み、恋愛相談など、会う度に色々話をしたり、箱根に一泊旅行をしたりもした。
これだけ聞くと、仲の良い友達に思われるかもしれないが、Bちゃんは沈黙が苦手なのか、ワタシがもう聞き飽きたというような顔をしても、マシンガンのように同じようなことをずっとしゃべり続ける性格だった。
いつしか、Bちゃんと会っても話が合わなくてつまらないと感じるようになったワタシは、Bちゃんからの誘いを断るようになった。
そんなとき、ワタシがBちゃんと決別したある出来事があった。
Bちゃんと会わなくなって数か月がたったころ、Bちゃんから久々にメールがきた。いつものように、遊びの誘いかな?とメールの内容を読んでビックリ。
Bちゃんが結婚をしたというのだ。
しかも、すでに結婚式まであげたとのことだった。
お相手の男性の存在はワタシも知っていたが、お付き合いには至っていなかったはずの男性とのいきなりの結婚報告。
ワタシは、唖然とした。
Bちゃんの結婚に、羨ましいとか妬ましいとかいう感情は一切なかったが、友達だと思っていたBちゃんからのいきなりの結婚事後報告。
友達として筋を通さなかったBちゃんとは、それ以来、友達を辞めた。
放置子家族との決別
我が家は、娘の小学校入学のタイミングに合わせて新居を購入し、隣の市から引っ越してきた。
引っ越してきたときは、周りに知り合いがおらず、娘に友達ができるか心配だったが、家の近所に娘と同い年の女の子Cがいることを知り、さっそく近所づき合いが始まった。
ワタシの夫は社交性抜群で、どんな子供からも慕われる性格。Cの姉や兄とも仲良くなるのにあまり時間はかからなかった。
でも、それが地獄の始まりだった。
Cの家は、両親ともに塾の講師をしており、夜は3人の子ども達を、遠方から毎晩車で子守のために通ってくる祖父母に預けて仕事に出かけた。
夜遅くまで仕事をしているせいか、土日の午前中は両親ともに遅くまで寝ているようだった。
娘がCから聞いた話では、父親はいつもカギをかけて、子供が部屋に入らないようにしていたそう。
Cとその兄はとにかく活発で、うちの娘が1年生のころは、しょっちゅう遊びに来てはうちの庭を荒らした。
我が家の庭で一緒に花火をした時、Cの兄が、フェンス代わりに掛かっていた布を花火で故意に燃やした。うちの夫はCの兄に対してその場で注意したが、Cの母親は笑って見ているだけだった。
他にも、
- 早朝・お昼時・20時過ぎなど、CやCの兄が時間に構わずうちにやって来る
- Cの母親が、うちの娘にバナナを食べるとガンになると吹き込んだ
- まだ小学1年生なのに、近隣の中学校の偏差値の話をされた
- うちの娘が小学校1年生の時、Cに何日も学校で無視されたことが数回あった
- うちの娘とCがコンビニにこっそり行ったことを、全てうちの娘のせいにされた
- 雨の日は、Cが必ずうちに遊びにくるが、Cの家では絶対に遊ばせてもらえない
- Cはアレルギーをもっていて、うちがあげたお菓子は、全てCの母親がチェックする
- うちの庭でサンマを焼いてみんなで食べようという話をしたところ、Cの母親の体調不良を理由にドタキャンされた
- 正月に、Cの兄が習い事でお世話になっている(利害関係のある)近所の家には挨拶に行くのに、うちには挨拶のひとつもなかった
- Cの母親は、家ではノーブラらしく、Cの母親の胸が服のすき間から見えたと、うちの娘が申し訳なさそうに報告してきた(トラウマにならなきゃいいけど)
など、ワタシにとって、Cの家族が絡む出来事の1つ1つがすべてストレスとして積み重なっていった。
それでも、うちの娘はCが好きだった。
夫からは、うちだって入学当時はCの家族にお世話になったのだし、子供たちのことだから、大人が口を出すなと何度も警告を受けたが、1年半我慢したワタシの堪忍袋の緒はついに切れた。
その頃は、我が家も夫婦共働きで、条件はCの家族と同じはずだった。にもかかわらず、Cの父親は顔を出すどころか、「いつもお世話になっています」の一言もなし。表に出てくるのは、常にCの母親だった。
それに、最初のころは、挨拶を交わしていたCの母親も、近所づきあいに甘えがでてきたのかいつしか顔を出さなくなった。
うちの夫が、CやCの兄と数えきれないほど遊んだり、Cの兄1人だけを連れて遊びに行くことさえあったにもかかわらずだ。
CもCの兄もれっきとした放置子だった。
放置子である上に、塾の講師である両親は、子供たちが何かを失敗する度に、子供たちを大声で怒鳴り馬鹿呼ばわりしていた。
CもCの兄もアダルトチルドレンなのではないか・・・。かわいそうな子たちなのではないか・・・。
そう感じながらも、ワタシは、自分の子供を育てるという責任を他人に転嫁したり、世話になっている相手への思いやりを持てず、面倒な子供たちを無意識に押し付けてくるCの両親が許せなかった。
その子たちの面倒をみることは、大嫌いなCの両親を助けることになる。それだけは絶対にイヤだ。
ワタシは、いつしか、Cの家族を完全に無視するようになった。
それなのに、ワタシの気持ちを汲もうともせず、相変わらずのんきに年賀状などを送ってくる彼らに、ワタシは自分の気持ちをしたためた一通の手紙を出した。
Cの家族と一切の関係を断ち切るために。
きっと、彼らは、ヒステリーなオバサンが思い込みで失礼な手紙を書いてきたのだ。そう思ったことだろう。育児放棄をしていることすら自覚できない人たちなのだから。
そんなこんなで、ワタシは心の平穏を自分の力で取り戻した。もう二度と同じ過ちは繰り返さない。そう心に誓いながら。
筋は通すべきか?
ワタシの筋の通し方は、賛否両論あるだろう。
でも、許せないものは許せない。許せないものを無理やり許しても、心にわだかまりが残るだけだ。
友達だったBちゃんも、Cの家族も、たった一言、
「結婚するよ。事情があって結婚式には呼べないけど、また報告するね!」
「いつもお世話になります。仕事が大変で、子育てまで気が回らずご迷惑をおかけしてすみません。」
と、誠意をもって声をかけてくれてさえいたら、それだけで筋を通せたはずなのだ。
その一言さえあれば、ワタシの怒りも少しは収まったはずなのだ。
周りを見渡すと、自分の体調や時間を犠牲にしてでも、子育てに奮闘している親たちばかり。ちょっとした一言で相手を思いやる気持ちを忘れず、小さな贈り物を欠かさない親だっている。
40歳をすぎて付き合う相手を選ぶようになり、さすがに人間関係のこじれは減ったが、Cの家族との一件で、ワタシがもっている筋は、自分の信念とリンクしているのだと改めて気づかされた。
これからも、周りの意見を聞きつつも、自分の頑固さを大切にしたい。声をあげていきたい。
ワタシは生きているのだから。