ワタシには、2人の子供がいる。
1人目は、実家に3ヶ月間里帰りをして、地元の総合病院で出産をした。
2人目は、家から徒歩で行ける距離にあった、東京都郊外の産婦人科で産んだ。
1人目は普通分娩だったが、2人目は逆子に加え、へその緒が首に巻きついていて危険という医師の判断のもと帝王切開が決まった。
帝王切開が初めてだったワタシは、帝王切開経験者の妹に、帝王切開のことを根ほりはほり聞いた。
全然痛くなかったという妹の言葉を聞いて安心したワタシは、完全に油断しきったまま手術の日を迎えた。
初めてだらけの帝王切開
帝王切開当日の朝。
午前中に手術を受ける予定だったワタシは、歩いて病院に出向きそのまま入院。
その直後から、帝王切開の準備のために注射をしたり、看護師さんに体毛を剃ってもらったりして、手術の時間が来るのを待った。
それからまもなく、帝王切開の時間になった。
ワタシは、自分の足で手術室に向かい、先生に支持されるまま全裸になり手術台に横たわった。
医師や看護師がいる前で、全裸にされる妊婦・・・。
でも、その時は、手術のことで頭がいっぱいで、恥ずかしいなどという気持ちはなかった。
「は〜い、麻酔しま~す」
先生の軽い言葉で手術が始まったものの、その言葉から数分後には切開が始まった。
えっ?ええーーっ??こんなに早くお腹を切っていいの?ほんとに麻酔聞いてる???
と、ワタシのうろたえをよそに、手術はどんどん進行していった。
しかし、不安は的中。
痛い、ものすごく痛い。全然、痛くないっていってたじゃん!!!イタイ!!ヤバイ!!!
1人目の出産で普通分娩を経験したワタシだったが、普通分娩の痛みと帝王切開の痛みとでは種類が全く違った。
お腹を切られているという恐怖も相まって、40分ほどの手術の間、ワタシは全身に力を入れてずっと痛みをこらえた。
痛みを一瞬忘れられたのは、取り上げられた赤ちゃんを目の前で見せられた時だけ。
それ以外の時間は、手術の最初から最後まで、とにかくお腹の痛みに耐え続けた。
帝王切開の手術よりも大部屋での入院が地獄だった
帝王切開後の入院日数は10泊11日だった。
帝王切開の入院にしては、他の病院と比べてかなり長期間だった。
入院の前半5泊は4人部屋で経過観察、後半5泊は個室に移り、退院に向けて体調管理をするというスケジュールだった。
術後、すぐに4人部屋に運ばれたワタシは、麻酔と疲れでもうろうとする意識の中、ストレッチャーからベッドに移された。
その後しばらくは、自力でトイレに行けないワタシのために、看護師さんが尿管に管をとおしてくれたり、何種類も点滴をしてくれたりと、処置をされるがままの時間が過ぎていった。
その病院には、盲腸の手術の時と同じように、オナラがでないとご飯が食べられないというルールがあった。
4人部屋で6日間も過ごすこと自体辛くて苦しい状況なのに、人前でオナラまでしなければならないのか・・・。
ワタシは、他人と同じ部屋にいるというストレスに加えて、オナラをしないといけないというプレッシャーで徐々に追い詰められていった。
手術当日は、帝王切開のショックで食欲ゼロだったワタシ。でも、時が経つにつれ、だんだんお腹が空いてきた。
オナラ、オナラをしないと・・・。
オナラをしなければというプレッシャーを自分にかければかけるほど、オナラは出てくれなかった。
お腹にガスがたまって苦しい、辛い、ひもじい・・・。
その時、カーテンの向こうでブッ!とオナラの音が!!
ワタシの手術の後に、同じ帝王切開の手術を受けた大柄な女性が、術後、早々にオナラをしたのだ。
その女性は、それからすぐにおかゆを口にしていた。
ワタシは、オナラが出ないせいで術後丸2日間何も食べていないのに、これが帝王切開で出産を頑張った母親への仕打ちか!!!
空腹で打ちひしがれていたワタシは、我慢できずにベッドの上で涙を流した。
その後、涙で目を腫らしたワタシの異変に気づいた医師が、看護師さんに浣腸を支持してくれた。
間もなくして、ワタシは4人部屋の中にあるトイレで今まで経験したことのない莫大なオナラをしたのだった。
ストレスMAXの大部屋はもうコリゴリ
他人と長時間同じ空間にいるのが大嫌いな上に、超過敏性症候群という、緊張するとガスがお腹にたまるのに外に出てくれない症状を抱えていたワタシ。
オナラを早々にした大柄な女性が、夜中に体中をかきむしる音や、大きなイビキにも、いちいちイライラさせられた。
無事にオナラを出して食事ができるようになったワタシは、4人部屋から解放されて個室に移る日を指折り数えて待った。
それから、ワタシは無事に個室に移り、予定どおり退院した。11日ぶりの外出。外の光がとても眩しかったことを覚えている。
後から知ったのだが、帝王切開の手術の痛みや、個室や大部屋の選択や、入院日数は、病院によって異なるそう。
事前にもっとよく調べて、家から少しぐらい遠くても自分の性格にあった病院を選ぶべきだったなと、今となっては笑い話となってしまった自らのお産を懐かしく思い出す。
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