5歳年下の隣人ママKさんの妊娠が発覚したのは昨年のこと。
「〇〇ちゃんのママ、3人目を妊娠してるらしいよ。男の子なんだって。」
夫の口からその事実を知ったワタシは、一瞬頭の中が真っ白になった。そして、自分でも驚くほど動揺した。
ワタシも3人目が欲しかったけど、自分の健康や精神面に不安があるし、また流産したら嫌だし、育児は辛いし、
早く自分だけの人生を取り戻したいから、3人目はきっぱりとあきらめたはずだったのに・・・。
Kさんの妊娠が発覚してから約半年。時は過ぎて、Kさんは3人目を無事に出産したが、Kさんの妊娠を知ってからというもの、ワタシはKさんから距離を置くようになった。
隣人の家族構成
隣人が、わが家の隣に引っ越してきたのは約5年前。
最初のうちはほとんど交流がなかったが、子供同士の年齢が近いことや、うちの夫が超社交的なことなどから、子ども同士がいつの間にか仲良く遊ぶようになった。
庭でバーベキューをしたり、映画を観たり、イベント毎を一緒に楽しんだり・・・。
わが家の家族構成は、夫、妻、娘1人、息子1人の4人家族。一方、隣人の家族構成は、夫、妻、娘2人の4人家族。
4人家族という共通点の中で、唯一の違いは、わが家には息子がいることだった。
自分の心と向き合ってみた
ワタシは、なぜあんなにもKさんの妊娠に動揺したのか。別の人の妊娠なら、すんなりと受け入れられただろうに。
そして、その動揺は、半年以上たった今もつづいている。
Kさんに3人目ができたという事実は、ワタシを精神的に苦しめているわけではないが、Kさんの妊娠を素直に喜べないモヤモヤした気持ちが晴れないのは何故だろう。
このモヤモヤした気持ちの原因を突き止めないと、ワタシは先に進めない。
そこで、ワタシは、ここ半年間でKさんに感じた気持ちを思い返しながら、自分の心と向き合ってみることにした。
3人目を妊娠したという嫉妬
Kさんの妊娠が2人目だったら、ワタシは素直に「おめでとう」が言えたに違いない。
Kさんが引っ越してきた時、すでに子供が3人いたなら、Kさんに4人目の子供ができようが、5人目の子供ができようが、ワタシは何も感じなかったに違いない。
そう。ワタシは、「3人目」というキーワードに強く反応したのだ。
自分の中では割り切ったつもりだった「3人目」の子供。
でも、そうじゃなかった。
ワタシは、まだ「3人目」をあきらめきれていなかったのだ。
今、このブログを書きながらも自然と涙が溢れてくるのが紛れもない証拠。
過去に、「3人目」を2度流産したうえ、もうすぐ44歳という年齢では、もう「3人目」は無理だという現実。
ワタシは、Kさんが「3人目」を妊娠したからこそ、彼女に嫉妬したのだろう。
「息子」という優越感の喪失
Kさんの妊娠を知った時、ワタシは、彼女が3人目を妊娠したというだけでなく、彼女が男の子を授かったという事実に激しく打ちのめされた。
以前、Kさんがうちの息子をとてもかわいいと言ってくれたことがある。
その言葉を聞いたとき、ワタシは、娘しかいないKさんに密かな優越感を抱いた。
人は人、自分は自分。
そう、いつも自分に言い聞かせていたはずなのに、ワタシはKさんと自分を知らず知らずのうちに比べていたのだろう。
Kさんが息子を授かったという事実を知った瞬間、Kさんに対する優越感はガラガラと音を立てて崩れ去り、ワタシはKさんに敗北感を覚えた。
ワタシが、Kさんに未だ「おめでとう」を言えないのは、ワタシの負けず嫌いな性格がそれを拒否しつづけているからだろう。
幸せそうな家族に感じる寂しさ
「隣の芝生は青い」ということわざがある。
Kさんは子煩悩で、社交的で、積極的で、健康的で、優しくて、ワタシには無いものを沢山もっている。
家族みんな仲が良くて、週末はいつもお出かけをして、とにかく人生を楽しんでいるように見える。
隣の家族が幸せそうにしていると、ワタシはどういうわけか寂しさを感じる。
それは、ワタシが子供だった頃の家族を思い出すからかもしれない。子供の頃のワタシが求めていた家族の形を、隣人家族に垣間見るからかもしれない。
5人家族だったワタシの昔の家族は、バラバラだったから。
Kさんだって、辛い時やしんどい時もあるだろう。隣の芝生が、いつだって青いわけではないことくらいわかってる。
それでも、ワタシは幸せそうな家族が羨ましい。幸せそうな隣の子供が羨ましい。
ワタシがもらえなかった愛情を、沢山もらえてる子供たちが。
避けてしまったという後ろめたさ
Kさんの妊娠が発覚してから、ワタシはKさんを避けるようになった。
以前は、子どもが互いの庭を行き来する際などに、挨拶をしたり、軽く立ち話をしたりすることもあったが、
ワタシは夫にその役目を譲り、自分の存在感をひたすら消すことに徹した。
3人目を妊娠したKさんと、顔を合わせるのが怖かったから。妊娠したという事実を、Kさんの口から聞くのが怖かったから。
「おめでとう」という言葉を発する自分の顔が引きつるのが、容易に想像できたから。
Kさんは、ワタシが積極的にKさんを避けていたことを知るはずもなく、ワタシが勝手に後ろめたさを感じて逃げているだけなのだけど。
Kさんは、ワタシが挨拶をすれば、きっと普通に接してくれるに違いないのだけど。
ワタシがKさんから距離を置いているうちに、Kさんは出産してしまった。それほどの時間が経過してしまった。
Kさんと話すタイミングがつかめないまま、時間だけが過ぎていく。
自分の気持ちに整理がつく日まで
3人目をあきらめきれていなかったワタシ。
息子を授かったKさんに対する敗北感。
幸せそうな家族に感じる言いようのない寂しさ。
Kさんを避けてしまったという罪悪感。
3人目を妊娠した隣人に抱いた感情の出所を整理してみたら、様々な気づきを得ることができた。
3人目を積極的に作らなかったのは、自分がその道を選んだから。
Kさんに敗北感を味わったのは、自分がKさんより優位に立ちたかったから。
幸せそうな家族に寂しさを感じるのは、今の自分の家族の幸せを見落としているから。
Kさんを避けてしまったという罪悪感は、Kさんとの関係をこれから徐々に元に戻していけばいい。
ふと、シュレック フォーエバーという映画で、フィオナがシュレックに言った言葉を思い出した。
【原文】Shrek, You have three beautiful children. A wife who loves you. Friends who adore you. You have everything. Why is that the only person who can’t see that is you.
【翻訳】シュレック。あなたにはかわいい子が3人。あなたを愛している妻。いい友達もいる。何が不足なの?その幸せを分かってないのはあなただけよ。
ワタシは、他人の幸せを気にする以前に、もう十分にもっているではないか。
焦らなくていい。
きっと、Kさんと元の関係に戻れると信じて、自分を信じて、時の流れに身を任せてみよう。
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