ワタシは、機能不全家族で育ったアダルトチルドレン。
自己治療のおかげで、アダルトチルドレンの症状は軽減してきたが、
小さい頃から親の顔色を常にうかがって生きていたせいか、他人の態度やしぐさからその人の機嫌を察するクセは未だに残っている。
そんなワタシなので、自分は相当に空気が読める人間だと思いこんでいた。
場の空気を一瞬にして察知する能力は、誰よりも優れていると自負していたからだ。
言っていいことと悪いことの区別がつかない
空気が読める人間だと自負していたワタシだったが、自分がアスペルガー症候群だと自覚した時、ん??と思った。
アスペルガー症候群の症状の一つに、空気が読めないとあったからだ。
そこで、自分の過去の行動や言動を改めて思い返してみると、いくつか思い当たる節があった。
例えば、
- あまり親しくない他人から「グレコさんから言われた言葉にすごく傷ついた」という苦情を受けたことがある
- 職場で、空気が読めない発言をして、皆からひんしゅくをかったことがある
- 親友に、空気の読めない発言をして、その場で総ツッコミを受けたことがある
- 親しいと思っていた他人から、いつの間にか距離をおかれている
こんなことを言ったら場がシラケるかな?とか、その人が傷つくかな?とか、言っていいことと悪いことの区別がつけられないワタシ。
だからこそ、頭に思いついたことを、そのまま直球で発言してしまう。
ワタシが、新しい人間関係をなかなか築けないのは、空気が読めないせいで、いつの間にか相手にイヤな思いをさせたり傷つけたりしてしまうからなのかもしれない。
空気を読み過ぎるワタシは偽りのワタシ
自分の言動で他人を傷つけた経験があるワタシ。
他人ともっと仲良くなりたいという気持ちはあるが、
自分の言動がまた誰かを傷つけて嫌われるのではないかと思うと怖くて、いつの頃からか他人との交流を極力避けて生きるようになった。
会社の同僚とのランチを避け、ママ友の輪を避け、旦那の家族との交流を避け・・・。
そして、どうしても避けられない時は、いつも空気を読み過ぎるワタシが全面に出て頑張ってくれた。
しかし、空気を読み過ぎるワタシは本当の姿ではない。
それが表に出れば出るほど、ワタシはストレスに押しつぶされるのだ。
空気が読めないワタシを大事にしていきたい
空気が読めないせいで、生きづらさを感じて生きてきたワタシ。
他人を傷つけたくなくて、他人に嫌われたくなくて、他人との交流を避けて生きてきたワタシ。
でも、自分がアスペルガー症候群だと自覚してから、空気が読めないという自然体の自分を受け入れることにした。
ワタシは、自分らしく生きられないことが、生きづらさにつながることを身をもって学んできたから。
最近は、自分の言動が他人を傷つけないように配慮しながらも、いいたいことは言い、なるべく自分らしさを失わないように他人と接するよう心がけている。
嫌われてもいい。避けられても気にしない。
どんな時でも味方をしてくれる家族と、一握りの親友がいればそれでいいしそれがいい。
ワタシは、これからも、空気が読めない自分を大事にし、そんな自分に寄り添って生きていきたい。