学校の先生が嫌い!肩書きにまどわされず本性を見抜かずにはいられない私の生き方

私は、物心ついたころから、人間の本性を見抜くアンテナをもっている。

特に、子供と接する機会の多い親以外の大人、つまり学校や塾の先生など、

その肩書きの裏にある本性に、どうしてもフォーカスしてしまうのだ。

そのせいで、先生に支配される学校生活では、組織で行動する窮屈さを異常なほど感じていた。

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小学校4年生の頃に起きたとある事件

私は、アスペルガー症候群グレーゾーンであり、アダルトチルドレンでもある。

アスペルガー症候群の人には、空気が読めないという特性があるが、

アダルトチルドレンの人には、空気を読み過ぎるという特性がある。

私の場合、少なくとも小学校4年生までは、アスペルガー症候群の特性が表に出ていたせいか、空気が全く読めない子供だった。

私が4年生の時、ある事件が起きた。

その頃の担任の先生は、もう50歳をこえた年配の男性だった。

その先生のあだ名は「もん毛」。もん毛と言われてもわからないかもしれないが、もん毛とは「お尻の毛」という意味だ。

小学生とは残酷なもので、誰が言い出したのか、そんな失礼なあだ名がいつの間にか先生につけられていた。

これは、私が大人になって母親から聞いた話だが、

その先生は、私のことを良く思ってなかったようで、個人面談の時に、母は先生から注意を受けたそうだ。

本来ならコソコソと言うあだ名を、「もん毛!」と表だって叫んでしまった私の言葉が、先生の耳に届いてしまったからなのだと思うが、

その時にはすでに、先生の本性を見抜き、大人を馬鹿にする私のアンテナが働いていたのかもしれない。

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高校生の時の先生とのバトル

高校生になると、私の自我は一気に開花。

同級生に対しては孤独を感じる一方で、自分を支配しようとする先生とは徹底的に戦った。

印象に残っているのは、30代の女性教師と、50代の美術の先生。

私が通っていた高校では、不定期に服装チェックがあった。

私は、髪形や制服には問題がなかったけど、いつもピンクの色付きリップをぬっていた。

30代の女性教師は、いつも色付きリップをぬっている私を注意したが、私は頑として従わなかった。

他の先生なら止めたかもしれないが、なぜかその女性教師の言うことだけは聞きたくなかったのだ。

一方、私は、中学生から続けていた美術を、高校でも続けたいと思い、高校に入学すると同時に美術部に入部した。

1年生の頃は、純粋に絵を描くことを楽しんでいた私だったが、2年生の頃、美術の顧問とケンカをして部活を辞めた。

理由は、美術の顧問が、あまりにも賞をとることにこだわり、美術部なのに休日も部活をやるというスパルタ特訓を始めたからだ。

賞を目標にすることは決して悪くはないと思う。しかし私は、美術部の顧問の言葉の裏に、美しさとはかけ離れた彼の欲や執着をみた。

こんな奴の欲望のために、絵を描きたくない。

私は、自分の思いを先生にぶつけ、教員室を後にした。

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短大の時の小うるさい体育教師

私は、高校卒業後、神奈川県にある短期大学に進学した。

必修だった体育の授業は、テニスやバドミントンなど、私が好きな競技だったからそれなりに楽しかったが、1つだけ問題があった。

体育の先生が大嫌いだったのだ。

50代のはつらつとした女性教師だったが、私は、彼女の言葉や態度に、いつも何か引っかかるものを感じていた。

単位をもらうために、いつも嫌々授業に参加していたが、

先生から何か言われる度に、私はそれを無視したり、あからさまに悪い態度をとったりした。

今思えば、先生は、ただ一生懸命だっただけなのかもしれないが、私は、どうしても彼女を受け入れられなかったのだ。

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肩書きの前に人間であるということ

私が学生の頃に嫌いだった先生は、みんな人望の薄い人たちばかりだった。

人望が薄い人は、相手を思いやれない自己中人間。

自我を無理やり押し通すために、自分より弱い立場の人を支配しようとする。

でも、その裏には、孤独があったのかもしれない。昔の私がそうだったように・・・。

私は、誰も支配しないし、誰からも支配されたくない。

会社で働いていた時も、肩書きに従うのが苦手な私は、社長でさえ自分と対等に振る舞った。

それで、会社の人から何度か注意を受けたこともあるが、肩書きの前に人間なのだという気持ちが、どうしてもぬぐえないのだ。

男性・女性である前に人間。大人・子供である前に人間。強者・弱者である前に人間。

そんな気持ちをもち、尊敬の念をもって他人と接することができれば、世の中、もっと変わるのではないかと信じている。

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